猫になりたい

つつがなく生きておる

知識の広さがその人の限界幅

自分が食べてきたものしか、表現できない

創作はその人の持てる知識がどれくらいか推し量られる

 

そんな言説がある。確かにと思う。最近痛感する。

 

例えば、ピアノ。

自分が知っている限りの演奏しかできないなと思う。

私はそこまで演奏を聞いたことがないから、薄っぺらい演奏しかできないなって。

自分の中に演奏のバリエーションのストックが少ないというか。

 

例えば、Twitter

たかがTwitterと思われるかもしれないが、短文でおもしろくするというのはある種の才能だと思う。下らないけど。

知ってる世界が広ければ、それだけ操れる語彙数が増えるし、深みも増す。下らないけど(2回目)。

 

で、ですねえ。好きな漫画家さんがお高そうなごはんを食べてるのを(Twitterで)見ると、これもある種のインプットなのかなあとも思います。

味のインプット。漫画家なんて常にアウトプットしてる職業だし、食べ物からでも知識を仕入れてるのかも。

 

知らず知らずのうちに、自分の言動から了見の狭さを撒き散らしているかもしれない。

無知は罪、って今回のエントリーで言うほどでもないけど、知らないっていうのは、自分がそこまでの人ってことかと。