猫になりたい

つつがなく生きておる

春過ぎて春

ファミマのパンのラインナップからガーリックトーストが消えていた。どうして。あんなに愛していたのに。ファミマにないんじゃあもうIKEAレストランで食べるしかないじゃん。作る気はない。

そういえば前も、いつの間にか冷凍食品のとんかつが消えてた。あれ脂身がじゅわ~ってして好きだったのに。

セブンもさ、昔流行ったわらび餅の中にクリーム入っているみたいなあれ、ずっと復刻を待っている。

 

春過ぎて と言えば 夏来にけらし。持統天皇だね。

でも私はまだ春の話をする。というか本来なら4月初めに書いていたはずなのに。

以前、春はつらいという話を書いたが、じゃあなぜつらいのか?という原因の部分を桜が舞う中考えていた。恐らくは不可逆に全てがある。

別れというのはコミュニティからの離脱・解散でもある。一度離れてしまうと、もうそこの人ではなくなってしまう、空気感が掴めなくなってしまう。バラバラになってしまったら、当時の雰囲気というものは望んでも戻れない。その場限りなのである。

つまるところ、その場のその空気感を失ってしまうのが怖いのだろう。楽しかったのなら尚更。別れが悲しいなら会わなきゃよかったとは思わないけど、それでも元には戻れない不可逆さが悲しいのだろう、と。

結局、悔いの残る別れにならないよう今を全力で過ごすしかないのであった。(このコロナ禍で楽しむもクソもねーけど)

私としては、毎日日記をつけて空気感の保存としている。まあ不可逆なのはなんだってそうだけどね。