春過ぎて春
ファミマのパンのラインナップからガーリックトーストが消えていた。どうして。あんなに愛していたのに。ファミマにないんじゃあもうIKEAレストランで食べるしかないじゃん。作る気はない。
そういえば前も、いつの間にか冷凍食品のとんかつが消えてた。あれ脂身がじゅわ~ってして好きだったのに。
セブンもさ、昔流行ったわらび餅の中にクリーム入っているみたいなあれ、ずっと復刻を待っている。
春過ぎて と言えば 夏来にけらし。持統天皇だね。
でも私はまだ春の話をする。というか本来なら4月初めに書いていたはずなのに。
以前、春はつらいという話を書いたが、じゃあなぜつらいのか?という原因の部分を桜が舞う中考えていた。恐らくは不可逆に全てがある。
別れというのはコミュニティからの離脱・解散でもある。一度離れてしまうと、もうそこの人ではなくなってしまう、空気感が掴めなくなってしまう。バラバラになってしまったら、当時の雰囲気というものは望んでも戻れない。その場限りなのである。
つまるところ、その場のその空気感を失ってしまうのが怖いのだろう。楽しかったのなら尚更。別れが悲しいなら会わなきゃよかったとは思わないけど、それでも元には戻れない不可逆さが悲しいのだろう、と。
結局、悔いの残る別れにならないよう今を全力で過ごすしかないのであった。(このコロナ禍で楽しむもクソもねーけど)
私としては、毎日日記をつけて空気感の保存としている。まあ不可逆なのはなんだってそうだけどね。
キュアフラミンゴのバンクがすごい
下書きに文章のなりそこないがいっぱい溜まってて処理に困る。
3/28の放送にてキュアフラミンゴが初登場!
バンク担当は芳山優さん、印象に残っているのはスタプリでの90年代セレーネだね。あれはかっこよかった。
そのバンクの初見の感想、「情報量が多い」。
どうも作画枚数が少ないならではの技法が盛り込まれたバンクらしい。
コマ送りしていこう。
ブラシに縦線が入っている。漫画的表現を逆にアニメに応用するのか!という気づき。
頭にズームアップになってからバク転するシーン。足の動きの残像を描くことで大胆な表現になっているのかあ。
この角度めっちゃ美人。
フラミンゴのシンボル?→弾けて羽→着衣になる。こまか~い。
髪飾り・耳飾りはこのように一瞬黒くなってから具現化する。この一瞬の黒が何が起こったかわからなくさせるけど、カッコいい。
ここにも漫画的技法。
右目に光が!もうこれ少年漫画だよ。
キメポーズまえに一瞬入るフラミンゴエフェクト。コマ送りしないと気づかなかった。
当方本放送をキャプチャする環境がなく、YouTubeからのスクショで失礼。
コマ送りしてわかる細かい演出方法よ。バンクはこういうところも作り込まれていて見ごたえありますねえ。板岡さんのようなぬるぬるも好きだけど、こういうのもパワーがあって惹きつけられる。あと中割りがなく動く部分(地点Pから地点Qへ動くけど中割り一切ないシーン)もあって、それもまた大胆な動画の一助になっているのかなと。アニメ詳しくないけど。
2017年のプリアラ キュアショコラと同系統っぽいけど、ショコラはかっこいい極振りでフラミンゴはバンカラな姐さんって感じ。
最後にフラミンゴスマッシュのワンシーンを。
余談、こないだ初めてアニメもどき作ってみたけどフレーム管理がめんどくさい。こういうアニメは24fpsかしら?わかりやすくするために10fps(1フレーム=0.1秒)でやっちゃったけど……。フレームの進行管理ってどうすればいいんだろう?
丁寧な暮らしのアンチテーゼ
最近ESばっかで文章書くのも考えるのも億劫。
丁寧な生活以前に人間の生活を送らねばならぬ。
・早寝早起き
・規則正しい生活リズム(ごはんを食べる時間を一定にする)
・帰ったらすぐ風呂に入る
・スマホをだらだら触らない
等々……。
でも自分の欲求に弱すぎて、スマホ見てたいってなったら余裕で夜更かしするし、眠かったら昼起床するし、お腹がすいたらご飯食べればいいやってなるし、お菓子でカロリーを補おうとするし、スマホすぐ見ちゃうし……。
(余談、自分のごはんのメニューを決めるのがめんどくさい
その時食べたいものにしようって思ってても、自分で自分の食べたいものがわからない もう毎日食べるものを固定した方がいいんじゃあ?)
しかも、「お風呂に入ってる間に地震が来たらどうしよう」みたいなイレギュラーな不安に駆られて、なかなか行動に移せないこと多々。こんなイレギュラーな不安に負けずに、毎日を淡々と送れる人はどういう心の強さなんだ。この豊かな妄想に名前があるなら知りたい。
はやく全てが落ち着いたら、無印で線香スターターセットを買って沈香の香りを一生嗅いでいたい。
春といふもの
シンプルにつらい。
最近日差しがぽかぽかしてたり、夜の空気がしっとりしていたりと、春を感じること多々。それにつられて思い出される在りし春の日々。
例えば、
3学期制だった小中高。1月は行く、2月は逃げる、3月は去るの通り慌ただしく過ぎていく3学期。このクラスで過ごせるのもあと少しと噛み締めつつ受ける授業とか。
例えば、
今までお世話になった顧問が転任してしまうことにショックを受けながら向かう春休み中の部活とか。
慕っていた先輩がいなくなってしまうのに、特に何も言わずに終わってしまった卒業式とか。
春休み、車で連れられて親の出身地で見た夜桜とか。
小中高大の変わり目で生活が大きく変わるのを恐れ控えながら過ごす春休みとか。
そういったものが、「春」を感じた瞬間にドッとおしよせてくる。しかも年々重さを増しながら。
そして今年は。やはりお世話になった先輩方との別れが待っているが、コロナのご時世、お別れ会的なものを開くわけにもいかず。さよならの儀式さえさせてくれないこの感染症はとても残酷だね。それでも、このさよならを言えなかったことでさえ、春のひとつになっちゃうのかな。
そんなわけで、春はつらい。
初めての人力ボカロ
~これまでのあらすじ~
研究室の全体mtgでの発表やらしうかつやらでいい感じに気が狂っていたので、とあるキャラを歌わせたくなった。
しかし、UTAUは触ったことあるものの、自分で音源作ることはできるのか!?愛さえあれば関係ないよね!ということで人力ボカロに挑戦することとなる……。
人力ボカロにせよ新規音源作るにせよ、
原音用意→原音設定→UTAわせる
という流れは基本的に変わらない。そして解説サイトも多いのでここでは割愛。
いざust(UTAUでの歌わせるデータ)借りたし歌わせるぞ!と意気込むものの声が再生されない!なんでやねん!
どうも原音のwavファイルが16bitじゃないのが原因だったらしい。ファイルのプロパティ>詳細タブでbit数を確認できる。bps単位だけど、bitに読み替えられる。
参考にしたサイト:
Wavのビットレート(kbps)は何kHzと何bitの組み合わせなのかの早見表・対応表 | leez sc website りーずえすしー
適当なソフト使って、原音を16bitに変換、そしたらちゃんと周期表ファイルも作成されたし、歌ってくれた!(ただし音声は……)
以上、覚え書き。綺麗な人力つくれる師ってすごいね!!!!
蜜蜂と遠雷の映画の話とか
冬休みだから毎日ブログ更新しようかなとか思ってたけど、全然できてないわ~。
今更ながら映画「蜜蜂と遠雷」の話でも。2019年10月公開の映画でしたね。天才ピアニスト4人たちによるとあるコンクールでの話。
見た直後は凹んだ。ピアノを弾く端くれとして、こんな熱い戦いというか、思いのぶつけ合いができないわって。こう確固たる意志を持って演奏することも、魅せるためまでの練習に打ち込むこともできないなって……。
あと印象に残ってるのが、風間塵を遺した指揮者だか演奏者だかの追悼演奏会の時。映画オリジナルのシーンのはず。指揮者が音楽は時の流れがないと奏でられないが、しかし奏でられると永遠につながる。確かこんなことを言っていたはず。これが今でも覚えているくらい言葉が強かった。
見たの1年以上前だし細かいところは忘れちゃってるけど、こんなもんなのかな。原作はしっかり読んだ。引力のある小説で、小説苦手な私でもどんどん読み進められちゃった。
生きる意味って
近頃サイバーマンデーだのブラックフライデーだので某密林がセールをやっているが,特に欲しいものはないし,買ったところで消費でしかないし,どこか満たされない.
そんなことをよく思うので,幸せとは何か,ひいては人生の意味とは何かと考えることが多かった.
しかし私は,「生きる意味とは何か」についてひとつの結論に達しており,それは「何かを遺すこと」だと思う.遺すものの種類には2つあり,1つは作品,もう1つは子どもだと思っている.
作品を遺すこと.
文字であれ絵であれ音であれ,自分の内面が形となって表層化したものである.有名になるか否かではなく,そこに自分が在ったという証になりえる.
子どもを遺すこと.
育児において,親の意志というものは子どもに多大な影響を与える.親の試行錯誤の結果が子どもと言ってもいいかもしれない.子どもは親の人生でないにせよ,親の育児の反響・結果である.その子どもがまた子どもを育て……と直接でないにせよ,後の世代の中で思考は生きていく.ちょっと毛色が違くなるけど,鬼滅でも「想いは永遠」って言ってたもんね,それに近いような感じ.
そういうわけで,何か物足りないと思ったら,物で埋めるのではなく自分で,自分の活動で埋めようと思った.