猫になりたい

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映画プリキュア ミラクルリープの感想 含ネタバレ

今日は2回目のプリキュア映画をみるなど.

プリキュア映画の2度も見るのは初めてで,それほど気に入った作品であった.

というのも,作りがとても丁寧.

ハグっと,スタートゥインクル,ヒーリングっどの三世代の交流のされ方,敵側プリキュア側の行動の理由,そして結末.戦闘シーンも見ごたえのあるものであった.監督が前ワンピースに参加してた人なんだそうで.

それから,この作品がオールスター映画の系譜と強く感じさせられたシーン.

「なぜ戦うのか」の問いに「プリキュアだから!」と答えるのは一見答えになってないように思える.が,あの一瞬で歴代のプリキュアが写ることにより,先輩から連綿と受け継がれてきたプリキュアイズムが答えとなる.そう,プリキュアだから.

それから(2回目),EDがいい.

あの結末を見せられてから桜いっぱいのEDを見せられると,なぜかウルっときた.春から始まり,季節が一巡りして終わる1番.1年周期で交代していくプリキュアを表すかのよう.3世代集合の2番以降.夕焼けが写るCGは最高だなあ(例:プリキュア・メモリ).

話の本筋に関係ないとこだと.リフレインの声が良かった.サンジの声の人なんやね.

すぐエモいって言葉で片付けてしまいがちだけど,エモい映画だった.

ピアノを弾く意義

私はピアノを3歳から習いはじめて以降、かれこれ18年程ピアノを弾いていることになる。

高3までほぼ惰性に近いもので続け、ラ・カンパネラを弾けるくらいの技術にしてもらった。

そんな私がピアノを続ける理由を少し考えてた。

ピアノのサークルに所属しているというのもあるかもしれない。

でも1番は、「私にとって、不定形な音楽の近くにいられるのがピアノを弾くことだったから」だと思う。

 

まず、音楽というものを楽しむには時間の経過が不可欠である。(この辺は蜜蜂と遠雷の映画の影響が多大)

その時間ともに流れていく音楽は、音符を追ってもただの記号だし、ピッチを追っても波形でしか表しきれない、形を持たないものである。

また、絵を描いてその音楽を表現することもあるが、ここには時間の流れがない。

だからこそ、自分が演奏することで、自分が好きな曲を共に楽しめる。そういうのがあるからじゃないかなと、少し、思った。

知識の広さがその人の限界幅

自分が食べてきたものしか、表現できない

創作はその人の持てる知識がどれくらいか推し量られる

 

そんな言説がある。確かにと思う。最近痛感する。

 

例えば、ピアノ。

自分が知っている限りの演奏しかできないなと思う。

私はそこまで演奏を聞いたことがないから、薄っぺらい演奏しかできないなって。

自分の中に演奏のバリエーションのストックが少ないというか。

 

例えば、Twitter

たかがTwitterと思われるかもしれないが、短文でおもしろくするというのはある種の才能だと思う。下らないけど。

知ってる世界が広ければ、それだけ操れる語彙数が増えるし、深みも増す。下らないけど(2回目)。

 

で、ですねえ。好きな漫画家さんがお高そうなごはんを食べてるのを(Twitterで)見ると、これもある種のインプットなのかなあとも思います。

味のインプット。漫画家なんて常にアウトプットしてる職業だし、食べ物からでも知識を仕入れてるのかも。

 

知らず知らずのうちに、自分の言動から了見の狭さを撒き散らしているかもしれない。

無知は罪、って今回のエントリーで言うほどでもないけど、知らないっていうのは、自分がそこまでの人ってことかと。

 

 

バッハのソナタの情報を求めて

ピティナピアノ曲辞典はとても便利だ。作曲家ごとの曲がジャンルごとにまとめられており、かつ曲のページを開くと曲の説明や関連動画も出てくるからだ。クラシックにわかには、これ以上信頼の置けるものはない。

そんな賞賛ばかりを述べた曲辞典だが、時たま曲説明が書いてないものがある。そんな時は、作品番号などを手掛かりにネットサーフィンするのだが......。

 

今回は表題にあるように、BWV965を求めた結果を置いときたいと思う。

なぜBWV965なのか。それは、ピティナ曲辞典のバッハのページを眺めていたら、ソナタとあった。へぇバッハもソナタ作るんだなと思いながら、YouTubeで聞いてみたところ、刺さった。ので、調べるに至った......という訳だが、曲辞典に曲説明が載ってない!気になる!ということで調べて回っている(googleの検索結果2ページ分くらい)。

そしてたどり着いたページがYahoo!ブログだった。Yahoo!ブログは今年の12月でサービスが終わる。この損失は大きい。一体いくつもの有益な情報が永遠に失われることか。このブログもそうなることだろうし、覚え書きとしてここに記しておく。

 

元々このソナタは、バッハが作曲したものではない。ラインケンという人の「音楽の園」をクラヴィーア用に編曲したのがバッハだ。聞いてみれば、バッハが作曲したかのようだ。それはバッハの影響の大きさを証明するものだった。

 

ということらしい。へー。

なぜまたここにいるのか

 実を言うと、はてブロは1回消してる。前回作ったアカウントで書いた記事がなんか嫌になっちゃって、削除していくのも非公開にするのも面倒だったから、アカウントを削除した。そのせいで、IDにymmtmgの文字列取得できなかったが。結構気に入ってるのにー。

 

 アカウントを消したり復活させたりする情緒不安定なメンヘラみたいなことをしているが、また書きたいこと、というか思考をまとめておきたいものができたからまた作った。それだけの話。